やっぱりこんなキッツイ格好したくないわ、これなんとかならない?

蝶々夫人の舞台を10日後に控えて主演のモニカがこう言いました。ま、気持ちはわかります。日本人でさえたまに着物きると、そりゃ窮屈ですよ。でもお仕事でしょあなた、と、こちらも主張があるわけです。「日本人でも着物を自分で着られる人は昨今少ない、ましてドバイとなるともっと限られる、そして自分が着物を着るのと人に着せるのでは技術が違う、そして30分は最低かかる、おそらく私が現在のドバイで人さまに着付けが15分でできる唯一の人間だ。マリア・カラスだって着物を着て舞台で歌った、あなたもがんばれ」と何度も説明したのにな、と思いながら「なんとかする、って何をさ」と悶々としていました。出産直後の本番だったので、出産前から「産んだらすぐカツラに花や三つ編みをつけること」「自害するための刀を調達して」など当初の契約にどんどん追加注文が膨らんでいたので、「このギャラで私を馬車馬のようにはたらかせるな」とこちらもクレーム。「ヤスヨ、そんなんだったら最初から請け負わなければいいじゃない」「着物のサイズは自分にあうようにテーラーにもっていってなんとかするわ」とモニカが言いだす始末…そりゃ私だって出産直後にこんな大仕事したくないけど他に誰もいないし、日本人の名に掛けてこれはやるべき仕事だ、と思ったから請け負ったんだ、と。それからインド人のテーラに着物もっていって裾でも切られたらどうすんの、と考え抜いた結果、簡単に着物が着られるように、彼女のサイズに寸法をあわせておはしょりをあらかじめ縫って上げ、紐で縛らなくて済むようにマジックテープや安全ピンを使って着られるようにし、汗をかくから薄着でという注文にこたえて着物に半衿をくっつけ、下着である長襦袢を省略、帯も見えないようにゴムを入れ、あらかじめ輪っかに縫い、浮き輪のようにかぶるだけで装着完了になるよう仕立てることに。  (写真 おはしょりを縫い上げた着物)
そうと決まったらまず帯を切りました。着物提供のNINAのお店ですでにベルト用として切ってあった帯だったので、それをモニカが安く買い取り、私が「あたかも帯を結んだように」作り直して縫いました。着物は借り物で、原状でNINAにお返しする必要があったため、ハサミを入れるわけにはいかず軽く針と糸を入れる程度で仕立てなければなりません。試行錯誤の結果、3分で着られるインスタント着物の出来上がりと相成りました。最初は「なんでこんなこと私がやらなくちゃならないのかしら」と思っていたのですが、縫っているうちに楽しくなってきて、新しい経験をさせてもらっていることに気が付きました。

  (写真 お太鼓の中はゴムにし、伸び縮みするように仕立てた作り帯)
いざ、公演二日前のドレスリハーサルへ。1幕はモニカ演じる蝶々さんが娘の頃の衣装、2幕は蝶々さんの結婚後の衣装と自害するときの衣装、全部で3着。最初の着替えは幕間20分の間の着替え、次の着替えは楽屋まで戻っていられないので、暗い舞台袖での着替え。問題なく終了。そして女中役のポーランド人の女性には彼女自前の浴衣を着付け、髪も結い、かんざしをつけました。子役の女の子にも子供用の着物と羽織を着せました。ここでも同じく、歩き方やお辞儀の所作の説明をしました。簡単に脱ぎ着ができて、キツくない、暑くない衣装に主演のモニカは大変満足気でした。ここで一安心。

 公演はドバイとアブダビ、副領事や大使も日本とイタリア両国からお見えになり、大盛況で終演しました。そして、主演のモニカだけでなく、全てのキャスト、スタッフと戦友のような間柄になり(私へのギャラもなぜか跳ね上がり)、爽やかに仕事を終えました。それぞれの都市で1公演ずつというのがなんとももったいない、と思ったのは私だけではないはずです。ドバイオペラというオペラ施設もダウンタウンに建設中ですし、こういった文化公演がもっと増えてくれるといいなあ、と切に願います。日本文化を受け入れて着物を着こなしてくれたわけではなかったけど、「こういう服装もあって、こんな思いをしながら着るんだ」ということくらいは解ってもらえたかな。私としてはそれで十分だったし、ある意味プロフェッショナルなモニカという人と知り合えたこと、張り詰めた時間を共有できたことを感謝したいと今は思っています。

IMG_0724(写真 モニカはじめキャスト達と)